インダストリアルデザインとは
インダストリアル(産業)デザインは
デザインによって商品に新たなに付加価値をつける事です。
1919年にアメリカで生まれた、また人物ではジョーセフ・サーネイルが始まりだと言われていますが、職能として認められてくるのは1920年代末の事になります。
20年代末、1929年10月はあの世界大恐慌が始まった年で、インダストリアルデザインが広まる契機になりました。
不況下の企業は、新たな設備投資によるコストを避けるため、製品の本体は変えず、表面のスタイルを変える事で売上を確保する作戦を取りました。
企業がこの作戦をとったのは、表面のスタイルを変えれば、消費者は従来の物が古臭く感じられ、新たな消費に向かいやすくなめためです。「廃物化」と呼ばれています。
この様な背景でスタイルを変えられる方法を知っているデザイナーが求められたこと、またデザイナーも不況下で他の職業選択肢がなかったことも有りインダストリアルデザイン、デザイナーが誕生しました。
揺籃期のインダストリアルデザインを象徴するのが、スカイスクレイパー(摩天楼)とストリームライン(流線型)です。
本場アメリカではインダストリアルデザインが三つ子の魂として不況下のビジネスとして誕生した事がデザインによっても分かります。
例えば流線型は、自動車などのデザインに使われますが、当初は空力など科学的根拠が有り、自動車を高速に走らせるために採用されたものでしたが、『カッコよく』、『売れた』ために次第に販売用にデザインが転化されたのでした。
揺籃期の代表的なデザイナーはノーマン・ベル・ゲッデスとウォルター・ドーウィン・ディークです。
ゲッテスは「形を指図するのは機能だ」という考えの持ち主で、あくまでモノには機能が有り、その結果として形が生まれると言う思想をデザインに反映させました。
ゲッデスの代表的なデザインは流線型で、流線型が物の機能を高めるデザインでした。しかし彼の思惑とは別に販売目的であらゆるものに応用されたのでした。
一方ディークはデザインは物の外観を良くする、使いやすくする、経済効率を高めるを掲げ、企業利益を最大化することに努めました。
インダストリアルデザイナーの二つのタイプは揺籃期から存在していたと言っても過言ではないでしょう。
ミッドセンチュリーを支えるデザイナーも、ドイツ『バウハウス』の流れと上記をミックスしながら、イームズ、ネルソンなどと受け継がれていきます。
その後、インダストリアルデザインは50年代〜60年代にかけて「計画的廃物化」の原理、生産高の増大のためにデザインを変え消費を促す動きが生まれ、数々の批判が有りな
がらも発展していくのでした。
消費者の価値観の多様化や細分化のニーズに応えるには、やはり『カッコ良さ』は受け入れられる下地なのでしょう。
|