ミッドセンチュリーとは
ミッドセンチュリーとは直訳すれば『世紀の半ば』です。
デザイン史におけるミッドセンチュリーは 二十世紀の中葉、1940年〜60年代に インダストリアルデザイン(産業デザイン)を施された家具を指し 広義では建築なども含まれます。 主はアメリカで制作された物で、これには幾つかの理由が有ります。 一つは需要が拡大したことです。 第二次世界大戦終結後、アメリカ軍兵士が帰郷し、多くの若者が家庭を持ったために住宅ブームが巻起こり、それに連れて家具の需要が増えたこと。 また荒廃したヨーロッパに変わり本土が無傷なアメリカが世界産業の中心に上がったため、世界の需要を一手に引き受ける生産力を持ち、同時に大戦中の技術革新などが影響し大量生産の技術が確立、コストが削減出来た、つまり安く生産できるために需要を満たす。 結果として生産拡大→大量生産→コスト削減と好循環が成立し、本格的な消費時代に突入、需要が拡大しました。 それらの需要拡大の結果、消費者は従来に増してデザイン性の有る家具を望むようになり、ニーズに応えるためアメリカで質の高い家具が製作されたのでした。 もう一方は消費者の要求に答えられる、デザイン性を提供出来た事です。 この時代には多くのデザイナーがアメリカに登場しました。 代表ではチャールズ&レイ・イームズ、ジョージ・ネルソン、ハリー・ベルトレイア。 アメリカ外ではイギリスのアーネスト・レイス、デンマークのデザイナーなどです。 デザインの花形は1920年代はドイツでした。ここにバウハウスと言う後々までデザイン界に多大な影響を与える学校がありました。 しかし、ファシズムが荒狂う大戦前のドイツではバウハウスに代表されるデザインがヒトラーにより、頽廃的と弾圧されました。 その後バウハウスの多くの有能な教師陣などがアメリカに亡命してきた結果、 アメリカにデザインの本場が移動したのでした。 彼らのデザインの多くは軍事技術や軍事用に開発された材料、具体的には成形合板などを使う事で軽快なデザインを演出し戦後のアメリカへの憧れと共に世界中に広まったのでした。 アメリカはミッドセンチュリーの中心と言ってもいいでしょう。 それ以外の流れではアルネ・ヤコブセン、ポール・ケアホルム、ポール・ヘニングセン ブルーノ・マットマン、アルヴァ・アアルト、タピオ・ウィルッカラ、カイ・フランク、ティモ・サルパネヴァ、マイヤ・イソラなどを輩出した北欧モダンが挙げられます。 |