チャールズ・ロバート・アシュビー Charles Robert Ashbee
(1863-1942)
イギリスの建築家、デザイナー。ギルド・オブ・ハンディクラフトの創設者。
アシュビーは独学でデザインを学んだようだが、繊細で美しい銀食器を作り出した。 ギルドはアーツアンドクラフツ運動、芸術と工芸を基にした共同体をつくり、より良き集団、社会を目指す活動の中で、活動の支柱であるラスキン、モリスの理想を最も純化した共同体でした。 彼のギルドの活動は貧しい職人を積極的に雇い入れ社会福祉活動を行い、利益は共同に分配するなど、社会主義的な活動で、1886年のウィリアム・モリスの没後はアーツアンドクラフツ運動の中心となりました。 また、他のギルドでは女性を排していたが、同ギルドは女性が参加していたのも特徴です。
彼はラスキンとエドワード・カーペンターの思想に影響されていました。 トインビー・ホール内の社会福祉センターでラスキンの読書会を開く教室を主催し、教室ではカーペンターの思想に基づいて教育プランを制作実行しました。思想は清潔な環境で鍛えれば心身が整えられ、より良き社会に繋がると受け取った彼は、子供に水泳させるなど清潔な環境で教育することに努めました。 1888年、生徒とトインビー・ホールの装飾を手掛けたことを切っ掛けに、ギルド・オブ・ハンディクラフトを結成する。 ギルドは労働者階級にもっとも近く、貧しい人々も参加し盛時には200人以上にもなりました。 エセックス・ハウスに工房を持ち1898年にはベイリー・スコットの注文でドイツ、ダルムシュタットのヘッセン大公邸の全ての家具を制作し、ドイツへのアーツアンドクラフツ運動波及にも影響を与えた。 1889年にはエセックス・ハウス・プレス(出版)を設立。96年ウィリアム・モリスの死によって閉じられたケルムスコット・プレスの印刷機が引き取られるなど出版活動も盛んにする。 1902年ギルドはコツウォルド村に移り、ユートピア的な芸術による共同体を作ることを目指すが、07年財政破綻によりギルドは解散する。 06年にはアメリカでナショナル・トラストの依頼を受け自然保護を訴える講演した。講演はアシュビーの活動は自然との一体を目指す事も含まれていたことを感じさせる物でした。この時シカゴでフランク・ロイド・ライトと意見を交換し、以後友人となり交流する。 アシュビーとライトは建築と自然との融合は相通じるものだったが、決定的な違いは、ライトは機械に無限の可能性を感じ取っていたのに対し、彼は違和感を感じていた点である。 余りに理想的で浮世離れしてしまった彼の理想は破綻で締めくくられてしまいましたが、アシュビーのデザインはウィーン工房のヨゼフ・ホフマンに影響を与えるなど大きい物でした。 |
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