アーサー・マックマードゥ Arthur Mackmurdo
(1851-1942)
イギリスの建築家、デザイナー。センチュリーギルドの創設者。
多才な人物で、建築設計、装飾美術の他、晩年は貨幣制度改革に関する著述も行う。 若い頃はトーマス・カーライル、ジェームズ・ホイッスラー、オスカー・ワイルドそしてション・ラスキンなど唯美主義達と交流し影響を受ける。 特にジョン・ラスキンのギルドに関する著作『フォルス・クラヴィゲラ』を熱心に読み感化される。 1875年に建築家として出発した彼は、ウィリアム・モリスの講義を聞き、その後77年にモリスに会い、工芸に興味を持つ。 モリスに影響され建築の細部とも言える石彫、テラコッタの成形、真鍮の打ち出し細工、刺繍や家具の制作に打ち込む様になり、それら造形、制作のため彼のもとに芸術家や職人が集められた。それら活動、メンバーが集まった事が契機になり82年、センチュリー・ギルドが結成された。
これはアーツアンドクラフツ運動の代表的ギルドであり、私的に運営された最初のギルドと言われている。 共同設立者はセルウィン・イメージ。メンバーはハーバート・ホーン、クレメント・ヒートンなど何れも若く、ウィリアム・ド・モーガンだけが陶芸作家として名が知られていた。 代表的活動は84年、ハーバート・ホーンと共に季刊芸術誌『ホビー・ホース』を創刊したことで、現代美術を取り上げた初めての本であり、その後に類似物が多数創刊されたが先駆けとなった。 アーツアンドクラフツ運動時代はギルドと美術雑誌の発行は運動の活動と成果の波及の面で大きな役割を果たしたが、『ホビー・ホース』は後にグラフィック・ジャーナリズムと呼ばれる物の母体となった。 マックマードゥは家具調度、壁紙、織物などに先例を見ないほど流線的な線を用いいた、83年に著した『レンのシティ・チャーチ』のタイトル貢は炎の様に大きくゆれる線条全面を占めるが、これは新しい造形感情の表現方法としてポイントみなされている程である。それら彼の流線的なデザインは後のアール・ヌーヴォー誕生の関わりへの一端となった。 マックマードゥの活動はラスキン、モリスから大いに影響を受けていたが、ギルド機関誌『ホビー・ホース』は逆にモリスの興味を引き立て、モリスのプライベート・プレスであるケルムスコット・プレスの設立への喚起なった。 |
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