ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ Josef Maria Olbrich
(1867-1908)
ボヘミア生まれ。19世紀末から20世紀初頭にドイツ、オーストリアで活動した建築家、デザイナー。
ウィーンの国立職業学校在学中にローマ大賞を受賞するなど頭角を現し、卒業後1893年にオットー・ヴァーグナーの事務所に迎えれる。 ヴァーグナーは『近代建築の父』と称される人物で、著書『近代建築』で骨子が表わされているように、過去様式の建築から分離し、新時代に求められる材料や構造に合った様式を新構築することを目指した建築家だった。 門下生にはヨーゼフ・ホフマンもいたが97年二人はウィーン分離派の結成に参加し、活動に尽力する。 オルブリヒは98年には分離派会館を手がけ、美しく過不足のない設計と壁面装飾で仕上げ、分離派の思想である『自由と新生』を体現する建築物だった。 99年ヘッセン大公の招きによりダルムシュタット芸術家コロニーに赴く。 ダルムシュタットでは3年契約で作家が招かれ、家を提供された上で自由に作品を制作することが出来た。 1901年コロニー内に自邸を建てる、ドイツの民家のスタイルを取り入れたもので、アール・ヌーヴォーの曲線から直線的なスタイルの移行を感じさせる作品だった。
大公のために制作したエルンスト・ルードウィヒ・ハウスは英国のC・H ・タウンゼントの影響を受けたと言われている。 彼のコロニーでの最後の作品は、大公の結婚を祝して建てられたホーホツァイトシュトルムと言われる記念塔で、その幾何学的でユニークなデザインは現代建築の指標と称されている。 03年にはドイツ建築家連盟、07年にはドイツ工作連盟の設立に連なったが、08年にデュセルドルフで急逝した。 オルブリヒの建築はシンプルで直裁的であり、20世紀建築を予見する作品であった。 生きた時間は短かったが、その影響は大きく直接的にはウィーン派の息吹をユーゲントシュティルに伝え、間接的にはモダンデザインの形成にまで波及を及ぼした生涯だった。 |
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