ゼツェッション(ウィーン分離派)とは
19世紀末にドイツ語圏の国々で興隆した芸術運動。歴史主義や伝統、アカデミズムからと決別つまり旧態依然とした団体主義から分離し、新たな芸術様式を生み出す事を目指した運動でした。
古代ローマ時代に民衆が丘に集い新しい国家建設を叫んだ『民衆離反』の故事が名前の由来だと言われており、名が示すように1892年に100名超の若手芸術家がミュンヘン芸術組合から離脱、決別した事が始まりで、以後ドイツ語圏に広まり特にオーストリア、ウィーンで97年に立ち上げられたオーストリア造形芸術家協会(ウィーン分離派)が主な団体となりました。 ウィーン分離派の主要メンバーは初代会長として装飾壁画で名を馳せたグスタフ・クリムト、コロマン・モーザー、アルフレート・ロラー、そしてオットー・ウェグナー門下生の二人ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ、ヨーゼフ・ホフマンなどです。 オルブリヒは98年に分離派会館を手がけました。優美さと過剰にならない壁面装飾などの組み合わせは「自由と新生」を称える分離派の象徴と言える建造物でした。 オルブリヒはその後99年にヘッセン大公のダルムシュタット芸術家コロニーに招かれ、ユーゲントシュティルにも影響を与えました。分離派の実験的精神はユーゲントシュティルに繋がりドイツ工作連盟、バウハウスへと引き継がれインテリアデザインなど、インダストリアルデザインへも広がりを見せたのでした。 運動はイギリスのウィリアム・モリスの思想に影響を受けており、同じく影響を受けた英国アーツアンドクラフツ運動、例えばチャールズ・アシュビーによるギルド・オブ・ハンドクラフツのドイツ語圏版と言える物ですが、両者の大きな違いはドイツ語圏版は運動が社会主義的ではなかったことでした。 どちらも同じくモリスから影響を受けたにもかかわらず、モリスの重大関心事であった社会主義的観点が運動から希薄化(薄まった)されてしまったかは、どの同時代の他運動でも同じ傾向にありますが、その地域性にあります。 モリスは工業化されたイギリス社会で疎外感を味わいましたが、同時代のオーストリアでは、イギリスに比べ工業化が進んでおらず、また主要活動となるウィーン工房などは裕福なブルジョワジーに支えられており、民衆のためによき物を作り社会に還元するという、工業化が進んでいた地域が歩んだ思想に感化されにくい状況に有ったためです。 1900年に第八回分離派展などからも分かるとおり優美されで知られ、アーツアンドクラフツ運動派からは批判されたスコットランドのチャールズ・レニー・マッキントッシュに代表されるグラスゴー派から影響を受け入れたのもこの地域性から共鳴しやすい環境にあったためでしょう。
また運動はオーストリアで広まっていた総合芸術の思想からも影響を受けていました。 あらゆる分野の芸術を一人の創造的な個性により統合し至高な表現で表すことを目的とする思想です。 提唱者リヒャルト・ヴァーグナーは本来、特権階級の娯楽を弾劾するためにオペラを用いて活動していましたが、流れは造形芸術の分野まで広がり、造形芸術の考え方は工芸、家具、絵画、彫刻などを建築によって一つに結び統合する事へと発展する影響を受けたのでした。 これら二つの思想が絡み合いながら、最終的には建築、インテリアの設計。工芸品のデザインや制作。図案家、職人そして消費者までに繋がる流通の関係まで図ったがウィーン工房になります。 分離派は展覧会により、成果を発表しましたが第八回分離派展は分離派の大きな転換点になりました。 パリのメゾンモデルヌ、イギリスのアシュビー、ベルギーのアンリ・ヴァン・ド・ヴェルド、グラスゴー派のチャールズ・レニー・マッキントッシュなどを展示し、構成はヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーが行いました。彼らのデザインした家具も展示され注目されるなど後の活動の指針となったのでした。 03年ヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーによりウィーン工房が結成されました。 前記のとおり、工房は芸術の統合による造形芸術の工芸のあり方を模索しました。 代表的な建築物はブリュッセルのストックレー邸で外観は、直線的で優美で有り、内装家具、調度品と活動の全てを統合した作品だった。また、食堂壁画の『生命の樹』はクリムト作である。 ウィーン分離派はオーストリアにおけるアール・ヌーヴォーと共にモダンデザインの先駆けと言われておりますが、アールヌーヴォー面ではフランスなど曲線が目立つものに比べ、運動を代表するウィーン工房などは直線的なデザインが特徴で、特に設立者ホフマンは『方形のホフマン』と称されるほどでした。年代的にもホフマン、モーザーによるウィーン工房の立ち上げはパリでアール・ヌーヴォーが絶頂期を迎えた03年でアール・ヌーヴォーの後期に当たり、モダンデザイン、アール・ヌーヴォー、二つの時代の中間で、内容の交わりもまた同様だったと言って良いでしょう。 |
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