アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド Henry Van De Velde
(1863-1957)
19世紀ベルギー生まれの建築家、美術評論家、画家、教育者と多彩な面を持つ人物。 ベルギーの他、フランス、ドイツ、オランダで活動する。活動はアーツアンドクラフツ運動、アールヌーヴォー、機能主義を結び、その功績は計り知れない。 アントワープ美術アカデミー、パリで学び、当初画家としてブリュッセルで象徴主義、点描のグループに参加後、装飾美術に転じる。同地で起こっていたアーツアンドクラフツ運動に影響を受けていた自由美学などの新興運動に影響され、特に運動の中心人物であるウィリアム・モリスに感化され工芸家の道を歩み始める。 1895年から自邸でモリスの理想に沿い建築と装飾の統合を研究し、同時期にアールヌーヴォーの呼び名を定着させたビングの店『アールヌーヴォー』の装飾を手掛ける。ビングの個展巡回先のドイツ、ドレスデンでこの地への縁を深め、彼の作品がドイツ、ユーゲントシュテイルに影響を与えるきっかけを作った。
1901年にドイツのザクセン大公から芸術顧問に招かれ、06年に大公立工芸学校設立に伴って校長となる。校舎は彼の設計である。退任後はグロピウスに引き継ぎ同校はバウハウスへと発展していきます。 07年にドイツ工作連盟設立にベーレンスなどと尽力。14年にケルンで行われた連盟展に劇場建築を設計しましたが、製品の規格化を巡る論争でヘルマン・ムテジウス、ペーター・ベーレンスと衝突し連盟を去りました。 ドイツ時代はユーゲントシュテイルに刺激を与えたグラフィック作品、公共建築の設計、産業工芸デザインなどを手掛けた。また教育に尽くした貢献も大きい。 チューリッヒで逝去。 |
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